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その他の情報小ドルスス ティベリウスと最初の妻ウィプサニアとの息子。ティベリウスはリウィアとティベリウス・クラウディウス・ネロの息子であり、ウィプサニアはマルクス・ウィプサニウス・アグリッパとポンポニアの娘であるので初代皇帝アウグストゥスと直接の血縁関係はない。 紀元前11年にマルクス・アグリッパの寡婦となったユリアとの結婚のため父ティベリウスは母との離婚を強制され、さらに紀元前6年には父はドルススをローマに残しロードス島へ隠棲してしまう。紀元前2年の継母ユリアの追放後、紀元2年に帰還した父に連れられフォルム・ロマヌムで市民に紹介された。 その後ティベリウスがアウグストゥスの養子となり後継者に確定すると、ドルススもアウグストゥスの援助を受けて政治キャリアを重ねていった。このとき叔父・大ドルススの息子ゲルマニクスがティベリウスの養子となり、ドルススとは義理の兄弟となっている。さらにゲルマニクスの妹リウィッラと結婚している。 アウグストゥスが病没した紀元14年には翌年の執政官(コンスル)に指名されていた。アウグストゥスの遺言状でドルススは、第1位遺産相続人が遺産を相続できない場合に遺産を相続する第2位遺産相続人として3分の1の遺産を与えられていた。この指名は、同様に第2位遺産相続人として指名されていたゲルマニクスとその子供達とともに、ティベリウスの後をアウグストゥスが期待していたことを示している。ティベリウスが神君カエサルの神殿の前で行なった以外では唯一、アウグストゥスの追悼演説をドルススはフォルム・ロマヌムで行なっている。 アウグストゥス死後 [編集] |
戦国大名 「戦国大名」の定義については現在に到るまで曖昧さを残したまま検討が続けられているが、おおむね室町時代の守護大名と比べると、戦国大名は、室町将軍など中央権力と一線を画し、守護公権のあるなしに関わらず国内を統一する権力を有する。また、有力国衆など被官・家臣の統制を強化し家中(家臣団)を構成し、領国内において知行高に応じて軍役を課す貫高制を確立している。 独自に被官・家臣間、領民間の争いを調停する分国法(戦国法)を制定するものもあり、特に戦国法の制定は戦国大名の大きな要素として評価される。このような戦国大名による独自性の高い強固な領域支配を大名領国制という。これは守護大名の守護領国制がより集権性を高めて発展した支配形態とも評価される。 特に守護大名が室町幕府より守護に任じられたという権威を背景にしており、その守護職は令制国単位であるため、その権威も守護に任じられた令制国内に限られるのに対して、戦国大名の領国は令制国単位に限られず、歴史的由緒など支配の正当性のあるなしに関わらず他国への領国拡大を行い、軍事行動や外交などを独自の権限で行った。下克上により従来の守護を打倒して領国支配を確立した戦国大名もいる。 こうした守護公権と戦国法による戦国大名の公権力性は、中世後期の日本列島において戦国大名を領国を主権的な国家としてみなせるもので、戦国大名を地域国家として評価する理解が存在する |