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その他の情報トトメス3世 トトメス3世は、古代エジプト第18王朝6代目のファラオ(在位:紀元前1479年頃 - 紀元前1425年頃)。名の意味は「トート神の造りしもの」である。即位名はメンケペルラー、意味は「ラー神の顕現は永続なり」である。トトメス2世の子。 父王トトメス2世によって後継者に指名されていたが、幼くして父王が亡くなったため、継母ハトシェプストが即位、全権を掌握することになる。治世の前半は、ハトシェプストの補佐という形でしか政治を行えず、大半の時間を軍隊で過ごしたと伝わる。 この時期の経験から高い軍事的能力を身につけ、ハトシェプストの退位後となる治世の後半はハトシェプスト時代の外交を改めて周辺諸国に遠征し、国威を回復、エジプト史上最大の帝国を築いた。ことにメギドの戦いでの大勝で名高い。その積極的な外征と軍事的偉業から、「エジプトのナポレオン」と呼ばれることも多い。 実権を掌握してからはハトシェプストの存在を抹殺しており、ハトシェプストの名前や肖像を軒並み削り取った。 これには「恨みによるもの」とした説と「女王の前例を残さないよう、即位した事実を抹消する為」とした説がある。 |
戦国大名 「戦国大名」の定義については現在に到るまで曖昧さを残したまま検討が続けられているが、おおむね室町時代の守護大名と比べると、戦国大名は、室町将軍など中央権力と一線を画し、守護公権のあるなしに関わらず国内を統一する権力を有する。また、有力国衆など被官・家臣の統制を強化し家中(家臣団)を構成し、領国内において知行高に応じて軍役を課す貫高制を確立している。 独自に被官・家臣間、領民間の争いを調停する分国法(戦国法)を制定するものもあり、特に戦国法の制定は戦国大名の大きな要素として評価される。このような戦国大名による独自性の高い強固な領域支配を大名領国制という。これは守護大名の守護領国制がより集権性を高めて発展した支配形態とも評価される。 特に守護大名が室町幕府より守護に任じられたという権威を背景にしており、その守護職は令制国単位であるため、その権威も守護に任じられた令制国内に限られるのに対して、戦国大名の領国は令制国単位に限られず、歴史的由緒など支配の正当性のあるなしに関わらず他国への領国拡大を行い、軍事行動や外交などを独自の権限で行った。下克上により従来の守護を打倒して領国支配を確立した戦国大名もいる。 こうした守護公権と戦国法による戦国大名の公権力性は、中世後期の日本列島において戦国大名を領国を主権的な国家としてみなせるもので、戦国大名を地域国家として評価する理解が存在する |