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その他の情報オーセベリ船 オーセベリ船は鎧張りで作られたカルヴィ型(Karv、古ノルド語:Karfi)で、ほぼ全てがオーク材で出来ている。全長は約21.58m幅5.10m、マストは9ないし10m前後である。約90m2の帆が張られており最速10ノットで航行可能だった。また15対のオール穴があり30人で漕げた。他の付属物には幅広い舵取りオール、鉄の錨(いかり)、渡り板、あか汲みなどが含まれている。船の船首と船尾はオーセベリ様式として知られる特徴的な「握り獣(gripping beast)」様式の複雑な木彫りで念入な装飾がほどこされている。航海に適しているとはいえ、オーセベリ船は比較的脆弱であり、沿岸の航海にしか用いられなかったと考えられている。 オーセベリ墳丘墓(諾: Oseberghaugen ved Slagen)には数多くの副葬品と2人の女性の遺骨が埋まっていた。船が埋められたのは834年以降であるが、船の一部が800年以降のものであるため、船自体はもっと古いものであると考えられている 。オーセベリ船は1904年から1905年にかけてノルウェー人考古学者ホーコン・シェテリーク(英語)とスウェーデン人考古学者ガブリエル・グスタフソン(英語)によって発掘された。この船は広く賞賛され、ヴァイキング時代を生き延びた最高の掘り出し物の1つといわれており 、いくつかの内容物と共にオスロのビュグドゥイにあるヴァイキング船博物館に展示されている。 |
戦国大名 「戦国大名」の定義については現在に到るまで曖昧さを残したまま検討が続けられているが、おおむね室町時代の守護大名と比べると、戦国大名は、室町将軍など中央権力と一線を画し、守護公権のあるなしに関わらず国内を統一する権力を有する。また、有力国衆など被官・家臣の統制を強化し家中(家臣団)を構成し、領国内において知行高に応じて軍役を課す貫高制を確立している。 独自に被官・家臣間、領民間の争いを調停する分国法(戦国法)を制定するものもあり、特に戦国法の制定は戦国大名の大きな要素として評価される。このような戦国大名による独自性の高い強固な領域支配を大名領国制という。これは守護大名の守護領国制がより集権性を高めて発展した支配形態とも評価される。 特に守護大名が室町幕府より守護に任じられたという権威を背景にしており、その守護職は令制国単位であるため、その権威も守護に任じられた令制国内に限られるのに対して、戦国大名の領国は令制国単位に限られず、歴史的由緒など支配の正当性のあるなしに関わらず他国への領国拡大を行い、軍事行動や外交などを独自の権限で行った。下克上により従来の守護を打倒して領国支配を確立した戦国大名もいる。 こうした守護公権と戦国法による戦国大名の公権力性は、中世後期の日本列島において戦国大名を領国を主権的な国家としてみなせるもので、戦国大名を地域国家として評価する理解が存在する |